嫌いな人
・その場の討論で勝つ事に拘りを持ち、討論で勝つ事が本当の勝ちだと思ってる人
(これは負けず嫌いという概念には一切入らない)
・イライラした感情を悪意を持って意図的に表に出して周りに間違えた形で自分の強さをアピールし偽物のメンターになろうとする人。
(本人は強さをアピールしているつもりだが、分かる人にはこの行為自体、自分自身が弱く器の小さな人間だと言う事を提示しているだけになる)
・ストレスが溜まった時に自分より下だと思った人に当たってストレスを発散する人
・自分の事を棚に上げてSNSやネットで他人を上から目線でジャッジして傷つけて薄っぺらい偽物の安心感を得る事でしか自分を保てない裁判官ごっこをする人。
(これは俺の中では嫌いというよりも可哀想な人という表現の方が相応しい)
・自分に自信が無いから他人の欠点を探し安心感を得るのが好きな人
・リスペクトが無い人
ここに書いたのは一部だけど、自分自身が実際に出会った人達。
昔の俺はその人達に会う度にストレスを溜めていただけだった
だけど
それらの人達と関わってその感情から産まれたストレスを溜めるだけで人生を終えてしまうにはあまりにも勿体ないと想ったし、ましてやストレス発散で周りに当たり散らかしたり攻撃しても嫌いな人と同じ事をしてしまったら論外で意味が無い。
だからと言ってお酒を飲んだりご飯を食べまくったり買い物しても俺の中では、ただただストレスをボンヤリさせて現状にモザイクをかけてるだけなので個人的な価値観ではそれじゃあ現実は1ミリも変わらないと想っているし、それらの行動をして現実が変わった経験が一度も無いのでその選択はしない。
もしくは
例えば誰かに相談するのも良いかもしれないけど、言い方悪いがそんなアドバイスによって振り回された経験が俺には沢山あるから申し訳ないけれど責任を持てない誰かが言った信憑性の薄い好みだけで物を言う根拠の無いアドバイスを信じる時間は俺には一切無い。
だからそのような嫌いな人達と出会った時の対処法を最新の論文や科学的根拠を元に書かれた本を読んだり勉強をした。
※冒頭で上げた嫌いな人の項目は最新の心理学で関わる事を考えた方が良い、または距離を置いた方が良い人の項目に入ります。
悩む時間があったり愚痴を吐く時間があるのならどう考えてもそのままその時間全てをそれらを打開する為に勉強する時間に変えた方が圧倒的に自分自身のプラスになる。
そしてその様な状況になったり、その様な人に出会った時の自分自身の精神の持っていき方など対処法など具体的に少しづつだけど明確に分かってきてまだ勉強中ながらも、結果が見えてきて自分の魂が進化していく感覚を実感できる機会に多く携われた。
そんな日々の中、最近は自分の成長を確かめる為に、半年に1度程あえて過去を振り返ってみて過去と今の自分自身を俯瞰で見るようにしている。
その時に想うのは、
「嫌いな人達に出会わなかったら今の俺はいるのだろうか?」
「ここまで本を読んだり、学んだ事を実行に移して結果を得て、こうして魂のレベルを上げる事はできていたのだろうか?」
その事実に気がついた途端、大嫌いな人達へ不思議と感謝の気持ちが生まれ出す。
その様な人達の行動や言動を俺は許す事はあったとしても肯定する事は一生無い。
でも、ある意味の話で嫌いと同じ大きさの感謝の気持ちがある。
誰かが言った
「好きと嫌いは紙一重」
という言葉があるけれど、もしかしたらこの話もその1つの例なのかもしれないね。
もちろん俺もまだ未完成な発展途上の身なのでこの感覚に正確な答えはまだ出てないけれどまた新たな答えが出た時にはこのBlogで提示しようと想う。
でも
1つだけ明確に分かった事はスピリチュアルの世界では
「人と人の出会いや出来事全てに意味があって偶然なんて1つも無く全ては必然」
つまり俺が嫌いな人と出会った事にも俺の人生では明確な意味があるんだと言う事。
だから俺と、このBlogを読んでくださってる皆様、1人ひとりと出会えたのも偶然ではなく必然と言う事になるね。
それを知ると、出会えた全ての人に感謝の気持ちを大切にして俺はこれからも生きると改めて強く誓える
嫌いな人にのまれるのか
嫌いな人を利用するのか
考え方1つで未来は大きく変わる。
全ては君次第