中学校時代の記憶
前回の姉と過ごした吉祥寺の話の続き。
吉祥寺での生活にも慣れてきた頃、小学校の卒業が近づいた俺は一緒に暮らしている伯父から
「中学校は今の家から近い吉祥寺の学校に行くかい?それとも小学校の近くの中学校へ行くか?」
と聞かれその時も迷わずに小学校の友達が沢山入学する予定の中学校に行きたいという希望を伝えた事を覚えてる。
そして吉祥寺から希望した浅草の方の中学校に行く審査を受け見事にその願いが叶い中学校生活が始まる。
この頃は前の記事にも書いたけどまだ人前で発言したり目立つ事自体まだ苦手だったし抵抗があって小学生時代程では無いけれどひっそりと中学生活をしていたね。
中学1年生の頃はまだ状況や空間にも全く慣れてないし自分だけどイマイチ自分じゃ無いような独特な感覚。
そして
中学1年生の時はまだ俺の中で音楽に出会って無かったから雑貨集めと少しのゲーム、あとはネプチューンのコントを見る事とウッチャンナンチャンの気分は上々という番組を見る事しか生きる楽しみはなかった。笑
だけど、
そんな日々の中、俺が未熟だったってのが理由で今改めて考えても俺が完全に悪く更には人の子供を預かった責任感と使命感からか親戚の躾がいわゆる昭和ストロングスタイルで、あの頃は圧倒的に未熟だった俺はその意味と意図が魂で理解できず消化できなくて悩んでた。
振り返ればベクトルは違えど両親が天国へ行った時よりも孤独と不安を強く感じ
姉と勉強部屋として借りてたアパートの部屋のチャイムが鳴るたびに
「また説教の時間が始まる、、、」
って怖くて怯えてた。
「運動も勉強もできない、更に男らしくなくて根性も無いのは何故?」
「このままだったら福島の祖父母に預けた方が良いかもしれませんね」
って、ほぼ毎日毎日言われてたから当時の俺からしたら家は安らげると言えば安らげるけど実際は心から安らげない場所だった。
俺に取り柄なんて1つも無いんだな、、
「ひっそりと透明になって毎日過ごそう。俺にはそれが1番の安全策」
って思ってた。
今とは完全に真逆だね。
もしもあの頃の俺、、、俺というよりはニュアンス的には、あの頃の僕に一度だけ出会えるとしたら
何も言葉は交わさずにただただ優しい瞳であの頃の僕を見つめ強く強く抱き締めてあげたい。