「初めてのバンド加入」「ローディー」

今回のお話は以前投稿した


「高校中退後」「人生初LIVE」


のお話しの続きを語ろうと思います。







神楽坂TRASH-UP!!での人生初LIVEを終え本来あるべき姿の自分自身の人生が始まった。


けれどまだまだ未熟な身、結論から言うとこの頃の俺は


「下積みと荒削りながらも闇雲に行動に移す日々」


学園祭でのLIVEに協力した事を経てローディー先を紹介していただき、ローディーとして下積みの日々も始まった。


当時ローディーをしていたバンド様は浦和ナルシスのZënit Music Factoryに所属されていて、

俺の想像ではそのバンド様にお会いする1番最初の日は普通にLIVEを見学させていただいてその後に御挨拶させていただいて終わりなんだろうな

って勝手に考えていたけど実際は全然そんな事なくて、ある日のお昼に浦和ナルシスに呼んでいただいて御挨拶して速攻ローディー採用&ローディースタート宣告受けてアワアワしたのを今でも鮮明に覚えてるよ。笑


周りに居る人も場所もローディーとしての任務も何から何まで全てが知らない世界でバンドの機材の規模も俺が知ってるのとは全然違ったしね。


そんな中で俺がそのバンド様に出会って1番最初に教えていただいた事


それは、忘れもしない浦和ナルシスの裏側の出演者しか入れない地下のステージに通じる階段に座って先輩から


「挨拶って、とっっっても大事なんだよ会場ですれ違う人達には必ず挨拶してね!」


というシンプルかつでもだからこそ1番大事な事だった。


そこからはそのバンド様のローディーとなって関東を中心にしつつも日本全国のLIVEハウスへ連れていってもらって勉強させていただいた。

そのタイミングでL'Arc〜en〜Ciel様が始まった聖地、難波ROCKETSに初めて行った時はめちゃくちゃ嬉しくてとても興奮したなあ。


でも当時の俺が相当ポンコツ過ぎてバンド様をアシストするどころか色々とミュージシャンとして、アーティストとして教育も沢山していただいて今でもその恩は忘れていませんし感謝の気持ちでいっぱいです。


そんな時期に同時進行で相変わらずバンドメンバー募集の張り紙やチラシで色々な人との出会いを繰り返していた俺に、そのメンボを通して出会った沢山の人の中から初めて正式加入となるバンドが決まって新バンド誕生!というよりは加入という形でバンド活動が始まった。


和風で歌物のV-ROCKバンドでツインギター、俺の立ち位置はシモテ側のギター。


メンバーはみんなだいたい年齢は同じくらいで経験値も同じくらいだったからメンタル的には近しい存在で友達みたいな感覚で居心地は良かったけど、なんせ未成年でバンド経験が浅過ぎるので何かと喧嘩とか衝突するし悪い意味で荒削りで今振り返るとめちゃくちゃだった。笑


ちなみに俺以外のメンバーは全員新小岩に1つのアパート借りて住んでてよく彼らの家にミーティングなどで行かせていただいたのも思い出として残ってるし自分自身が初めて組む正式なバンドでLIVEしたのもこのバンドだったから思い出深いよね。


その頃「本格的にバンドを始めるので、ちゃんとしたGuitarが欲しい」という想いからジョナサンのキッチンで沢山アルバイトして貯めたお金でGibsonのSGっていうGuitarをGETしたのも嬉しかった印象に今でも残ってる。


(後にこのGuitarは今、夕霧がaquariumやShooting StarをLIVEで演奏する時に使ってるGuitarになっているという流れも我ながら感心するっす)


そしてこのバンドで初めてLIVEしたのは当時の言い方でいうところの原宿LosAngelesという小さなLIVEハウスで他にも目黒鹿鳴館などにも出演した。


活動期間は1年あるか無いかだったかな。


結局の所いわゆる方向性の違いってやつでバンド自体が解散という形になった。


そんな中、そのバンドの活動中に対バンで出会ってアーティストとして気になっていた子とメンバー募集のチラシを通して波長が合ったけど結局一緒にバンドが組めなかった子がいたので俺を含めその3人を中心に新しいバンドをすぐに始める事にした。


このバンドではカミテGuitarでたしかこのバンドも1年くらいの活動だったかな。


名前はPuNクレアというバンドで名前の癖が凄いので今でも検索したらすぐに引っかかります。笑


このバンドも個人的な主観では前に自分が組んでいたバンドよりは一回り大きくなった自分自身と同世代では経験のあるメンバーと組ませていただいたので前のバンドよりは様々な事にチャレンジしたり進む事ができました。


このバンドも同じく方向性の違いで解散しました。



最後のLIVEは対バンイベントで高田馬場AREA



だけど、俺は悲しむ所か良い意味で空白だらけの未来にドキドキワクワクが止まらなかった。


燃え尽きるどころか更に刺激を求めて進む思考の一択でした。




今回のお話はここまで、















でも







どうしても







最後に1つ伝えたいし知ってほしいのは俺の

1st GUITAR INSTRUMENTAL MINI ALBUM

「NeO ProToTypE」の「belief」のMV撮影でGuitarを弾いてる場所について。



浅草の桜橋



この頃、真夜中になると週3くらいのペースで自転車漕いでこの場所に1人足を運んだ。


そして隅田川と街並みを眺め自分自身に何度も誓った。


「俺はアーティストとして大きなステージに立って絶対結果を残す」


「諦めない」


「ドキドキワクワクしたい」


「刺激を求め進み続ける」


あの桜橋は俺が自分自身に何度も強く誓った神聖な場所。



俺の信念がより深く強く形成された場所です。