V-ROCKを知る。そして塾!
あれはたしかもう少しで中学3年生になる頃だったかな、その時は俺の主観ではV-ROCKというジャンルがある意味今よりもJ-POPに近い存在だったといいますかテレビをつければ毎週どのアーティスト様かがテレビに出演していたりCDランキング番組のチャート、朝のニュースにもよく取り上げられていた感覚。
そりゃもちろん過去の記事でも書いたけど俺はL'Arc-en-Ciel様を聴いて既にROCKには目覚めていたのでPIERROT様もDIR EN GREY様も魂と身体と脳に強く刺激を感じナチュラルに深く入り込む。
見た目にしても音楽性にしても独特で唯一無二の世界観が、当時の俺の
「多数決で多い意見が正しい」「一般常識が全て」という世間の風潮(←当時の俺の主観です)にまるで何もかも相反しているような姿や姿勢がめちゃくちゃカッコ良くその世界に深く深くのめり込んでいった。
まさに
「表現の自由」
この一言に尽きる
そして高校受験が近づいて吉祥寺の塾に親戚の勧めで通わせていただいていた。
今の俺を知る人には想像するのも難しいかもしれないけど、実はその塾では友達、会話できる人は1人も居なかった
クラス制の塾で周りはみんな友達なのに、俺はただただ1人。
休み時間も1人で誰とも挨拶すら無い。
俺はあの場所には馴染めなかった。
特に辛かったのは中学3年生の夏休みに入ると毎日毎日塾で朝9時から夜17時までクラスで授業を受ける。
その間もちろん誰とも会話も無い
そして17時になってクラスのみんなが帰るので俺も帰ろうとすると塾長に呼び止められ
「どこいくのー?君はテストの点数低いから居残り〜」
って笑顔で言われてそのまま22時まで塾で自主勉強をする。
その自主勉強の間、俺がしていた事は英和辞典でL'Arc-en-Ciel様をはじめ大好きなアーティスト様の曲名をひたすら英和辞典から探し出し曲のタイトルの意味を日本語で理解する作業しかしてない。笑
そして22時を過ぎて帰宅して家に着くと、
「このまま寝たらまた朝9時になって塾の時間になるからもったいないので夜更かしして自分の時間を堪能しよう」
と想い、ヘッドホンして音楽を聴いたり相変わらず大好きなネプチューンやウッチャンナンチャンの録画したビデオを見て午前4時頃まで起きて寝て起きたらそのまま塾に行く。
このルーティンを中学3年の夏休みはひたすら繰り返してた
、、、、、んだけど
この当時の俺にとっての地獄夏休み生活もあと10日程となると、朝9時から22時の塾生活から逃げたくなって、
「行って来まーす!」って朝家出るんだけどそのまま自転車漕いで逃亡する行為にでる。
吉祥寺から自転車漕いでそのまま線路沿いをつたったりして西荻窪→荻窪→高円寺→→→新宿まで行ってゲーセン行ったり、バックに忍ばせたL'Arc-en-Ciel様やPIERROT様やDIR EN GREY様の表紙のGiGSを隅から隅まで読みまくって夕方くらいに平然と家に帰り
「今日はもう塾終わった!」
って言って家で過ごす。
幸いな事に塾長は俺の性格を変に理解してくださっているのか、独特な優しさで塾に来ていない事を親戚には知らせずにその間の授業料は免除してくれていた事を後日知りました(塾長にはごめんなさいと、ありがとうございますの気持ちで今でもいっぱいです。)
てかさ、
ここの塾のくだりの話はただシンプルに俺が駄目な人間である事を話してるだけなんだけど、ここは俺の人生で大切な部分だからどうしても伝えたいの!
けれど、その半逃亡生活中に常に考えていた事は前にも言っていたように
「俺はステージに立つべき人間なんだ、俺は音楽で生まれ変わる」
って想いを強く、強く、強くイメージして毎日想いは膨らむ一方だった。
半逃走中も常にウォークマンでL'Arc-en-Ciel様やPIERROT様やDIR EN GREY様を聴いて脳内でGuitar弾いてLIVEをしてたよ。
その時の野心に溢れた感情は
L'Arc-en-Ciel様のDUNEからREAL
PIERROT様のFINALE、PRIVATE ENEMY
DIR EN GREY様のMACABRE
を聴いたら今でも1ミリも濁らず純度100%で鮮明に蘇る。
いつもそうなんだ
俺の人生の歯車が大きく大きく廻り光り輝き出す手前には、必ず俺が絶対的に強く孤独を感じている時。
それはこの歳になっても何一つ変わらない。
孤独を強く感じ、劣等感を感じてれば感じてる分だけ反比例で自分自身の意識が変動して行動し進化が始まる。
苦しみが大きければ大きい程、得るものは大きい。
俺の人生にとって孤独は大切なキーワードです。
だからこのBlogを読んでるキミも孤独を感じているのなら自分を悪く攻める必要は無いよ。
全ては必然
その孤独には絶対に意味があるんだ。
孤独がキミを強くする